語り受け継がれる大切な日
昨年10月の那覇大綱挽きに参加した以来の沖縄帰郷。
今回は、コロナ禍の中で4月に帰郷できなかったのもありますが、高齢の母親が手術を受ける事になり、心配だったためというのが一番の帰郷理由です。
昨日入院し、今日23日が手術日でした。
手術時間は2時間くらいと聞いていましたが、3時間以上かかりました。
待っている間、少し心配になりましたが無事に手術も終え、母親ともしっかり話すことができ安心して帰宅しました。
平和祈念公園にて
手術は14時からだったので、正午に合わせて糸満市摩文仁の平和祈念公園に行ってきました。
今日 6月23日は沖縄県民にとって、とても大切な大切な一日でもありました。
皆さんは沖縄には「慰霊の日」というのがあるのをご存知でしょうか?
過去の記事にも何度か慰霊の日のことを書いています。
太平洋戦争末期に激しい地上戦があった沖縄県では、沖縄戦の組織的戦闘が終結した6月23日を『慰霊の日』と制定し公休日となっています。
沖縄全体が鎮魂や平和の祈りに包まれる特別な日です。
制定された当初は6月22日でしたが、その後6月23日に改められました。
一時期は慰霊の日の休日廃止案が出たりといろいろあったようです。
1974年に沖縄県が条例により6月23日を慰霊の日と定められ、沖縄県民にとって最も大切な日であり、毎年慰霊の日の正午に黙祷を捧げます。
私が沖縄で産まれ育ち、今あるのも先祖の人たちがいたからです。
この日は自分の存在意義も含め、改めて考えさせられる一日です。
慰霊の日に合わせて帰郷できる機会は今までもなかなかありませんでしたが、今回、直接、沖縄の自然を肌で感じながら、戦争で亡くなった全ての方々へ向けて祈りを捧げられたことは、本当に意義のあるひと時だったと思っています。
沖縄の人々が大切にしている言葉で「命どぅ宝(ヌチドゥタカラ)」命こそ宝という言葉があります。
この言葉が全てを物語っているように思います。
沖縄は唯一地上戦を経験し県民の4人に1人がこの戦いで命を落としました。
こんな悲惨な惨状を風化させてはいけないし、日本中のもっと多くの人に『慰霊の日』を知ってもらいたい、自分たちがしっかりと語り受け継げられるようにしたいと改めて痛感しました。
毎年、慰霊の日には「平和の詩」が読み上げられます。
今年は高校生の詩が読み上げられました。
【あなたがあの時】
沖縄県立首里高等学校3年 髙良朱香音
「懐中電灯を消してください」
一つ、また一つ光が消えていく
真っ暗になったその場所は
まだ昼間だというのに
あまりにも暗い
少し湿った空気を感じながら
私はあの時を想像する
あなたがまだ一人で歩けなかったあの時
あなたの兄は人を殺すことを習った
あなたの姉は学校へ行けなくなった
あなたが走れるようになったあの時
あなたが駆け回るはずだった野原は
真っ赤っか 友だちなんて誰もいない
あなたが青春を奪われたあの時
あなたはもうボロボロ
家族もいない 食べ物もない
ただ真っ暗なこの壕の中で
あなたの見た光は、幻となって消えた。
「はい、ではつけていいですよ」
一つ、また一つ光が増えていく
照らされたその場所は
もう真っ暗ではないというのに
あまりにも暗い
体中にじんわりとかく汗を感じながら
私はあの時を想像する
あなたが声を上げて泣かなかったあの時
あなたの母はあなたを殺さずに済んだ
あなたは生き延びた
あなたが少女に白旗を持たせたあの時
彼女は真っ直ぐに旗を掲げた
少女は助かった
ありがとう
あなたがあの時
あの人を助けてくれたおかげで
私は今 ここにいる
あなたがあの時
前を見続けてくれたおかげで
この島は今 ここにある
あなたがあの時
勇気を振り絞って語ってくれたおかげで
私たちは 知った
永遠に解かれることのない戦争の呪いを
決して失われてはいけない平和の尊さを
ありがとう
「頭、気をつけてね」
外の光が私を包む
真っ暗闇のあの中で
あなたが見つめた希望の光
私は消さない 消させない
梅雨晴れの午後の光を感じながら
私は平和な世界を創造する
あなたがあの時
私を見つめたまっすぐな視線
未来に向けた穏やかな横顔を
私は忘れない
平和を求める仲間として
この季節に聴きたくなる曲
そして最後に、、、
この季節が来るとふと聴きたくなる曲があります。
サザンオールスターズ桑田さんの原曲で、ネーネーズが唄う「平和の琉歌」
皆さんも是非、聴いてみてください。