慰霊の日
本日6月23日は「慰霊の日」です。
このブログでも毎年「慰霊の日」について記事にしていますが、何度でも、何世代に渡ってでも、この戦争の悲惨さを訴え続け継承していかなければならないと思うので、今年は現地沖縄より伝えたいと思います。
平和の準備を
太平洋戦争末期の沖縄戦では20万人もの尊い命が失われました。
長閑で素朴な生活を送っていた沖縄県民が突然戦争に巻き込まれ、県民の4人に1人が命を落とした悲惨な出来事だったのです。
今も世界中の彼方此方で紛争や侵略戦争、また核の脅威に晒されている人々がいます。
沖縄の地上戦、東京の大空襲、広島や長崎の原爆投下…罪もない人々が巻き込まれ一瞬で命を落とす戦争。
過去の過ちを繰り返してはいけない!と伝えてくれる戦争体験者の方々がいてもなお、人間同士が争う軍事の準備が着実に進められていることに憤りを感じます。
私たちがしなければいけないのは、
軍事の準備ではなく平和の準備
改めて、強く感じた1日となりました。
平和祈念公園にて
今日、平和祈念公園では『沖縄全戦没者追悼式』が開催されました。
隣接している平和祈念資料館にある数々の記録や体験談を見ることができます。
それらを見る度に考えさせられます。
自分たちに何ができるか
戦争経験者が高齢となり、戦争の悲惨さや経験を直接聞くこともできなくなっています。自分たちがこれから後世を担う子たちにどう継承していくかが大きな課題でもあります。
命どぅ宝
「命どぅ宝」の想いを語り継いでいきたい
そんな気持ちで資料館の中を歩いていたところ、壁に掲げられていた言葉と自身の思いがリンクしました。
ここにその言葉を記します。
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沖縄戦の実相にふれるたびに戦争というものは
これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはないと思うのです
このなまなましい体験の前ではいかなる人でも
戦争を肯定し美化することはできないはずです
戦争をおこすのは たしかに 人間です
しかし それ以上に
戦争を許さない努力のできるのも
私たち 人間 ではないでしょうか
戦後このかた 私たちは
あらゆる戦争を憎み
平和な島を建設せねば と思いつづけてきました
これが
あまりにも大きすぎた代償を払って得た
ゆずることのできない
私たちの信条なのです