伝統を守り継ぐ
10月・・・今年も参加してきました!
そう!那覇大綱挽の旗頭行列です。
自分が東京で創作エイサーをはじめた原点が、この那覇大綱挽にあります。
何度も紹介していますが、改めて!
那覇大綱挽
今年で第53回の開催となった那覇大綱挽。
那覇大綱挽の発祥は西暦1450年頃だとされています。
1935年を最後に途絶えていましたが、沖縄が日本復帰前年の1971年、那覇市政50周年記念事業として「10.10那覇空襲」の日に平和と復興の象徴として復活しました。
私と那覇大綱挽とのはじまりは、小学校3年生(1977年/昭和52年)の時。
鉦鼓隊として行列に参加したのが始まりです。
以来毎年参加し、中学生の時から旗頭をあげられるようになりました。
19歳で沖縄を離れてからも、この時期になると毎年沖縄に帰省し、安里旗頭青年団の一員として旗頭を舞ら(もーら)しています。
守り抜いたもの
私が高校1年生の頃、後継者不足で安里旗頭青年団は存続が厳しい、危機的状況になりました。
その時に参加してくれた高校の同級生らがいてくれたお陰で、安里旗頭青年団は息を吹き返すことができました。
この時の仲間と38年たった今も、一緒に旗頭をあげられることは感慨深いものがあります。
旗頭と創作エイサー
旗頭愛が強い自分は『東京でも旗頭をあげたい!』と思いつつ、旗頭だけでお客様を集める難しさを感じていました。
そんな自分が創作エイサーを始めるきっかけとなったのは、1995年の那覇大綱挽。
この年、綱挽前の式典で、はじめて琉球國祭り太鼓による創作エイサーを見ました。
『これなら東京で沖縄の芸能がまとめてアピール出来る!!🤩』と身体中に電気が走ったかのように感じたことを今でも覚えています。
翌年の1996年には琉球國祭太鼓の東京支部を起ち上げ、創作エイサーをはじめる流れになりました。
旗頭のまち宣言
東京でどうにか旗頭を上げたいという想いから始めた創作エイサーですが、郷土(沖縄)愛故から『沖縄芸能が広く伝わって欲しい』という思いが27年経った今も大きくなる一方です。
まだまだやりたい事はたくさんあります!!
今年の那覇大綱挽で、知念那覇市長が「旗頭のまち・那覇」宣言をしました。
エイサーが広く知られているように、旗頭の魅力を沖縄県外の人にももっともっと伝えていきたい、那覇大綱挽にも、もっともっと多くの人に体験して欲しい。
来年は、関東でPRできるような新しい企画😏を立てて突き進んでいきたいと思います。
ということで、来年も熱い年になりそうです!