昇龍と私 ~小島~
- 2017年04月12日
- テーマ: 昇龍と私
昨日から始まった「昇龍と私」シリーズ(笑)
昨日は広報部部長の美月ちゃんでしたが、今日は同じく広報部であり、我等が太鼓リーダーの小島さん♪
さてさて、どんな出会いだったのか、早速見てみましょー(//∇//)
新宿エイサーまつり
当時、私は友人と「土めし」と銘打ち、土曜日の夕方早い時間帯から飲みはじめ夜7時頃には解散、という飲み会を定期的に開催していました。
2011年7月30日(土)
この日も私は「土めし」で新宿に来ていました。
友人が時間に遅れていたため、暇つぶしにぶらぶらしていると、何やらお祭りの様子。
そこで偶然目にしたのが「新宿エイサーまつり」だったのです!
その時、なぜか私はとっさに「自分もやってみたい!!」と思いました。
週末に友人とお酒を飲むことぐらいしか楽しみがなかった私は、すぐに新宿エイサーまつりのパンフレットに載っていた団体を片っ端から検索し、早速練習の見学を申し込みました!
それが私と「琉球舞団 昇龍祭太鼓」の出会いでした。
やると言ったらやる!
そのころの昇龍祭太鼓はちょうど「MO-LE STUDIO」が竣工したときで、荷物の整理や倉庫の移動などで大忙しでした。
はじめて作業に参加したとき、隣の駐車場にあったプレハブの倉庫をスタジオの敷地に人力で移動するということを聞いて、内心「え?正気ですか??」と思っていたのを覚えています。
何日かして本当に移動していたので、「あ、やると言ったら本当にやるんだこの人たち」と感心しました(笑)
また入団して間も無く「“世界エイサー大会”に出場するため、沖縄に来れますか?」と聞かれ、何も分からないまま遠征に参加したりもしました。
入団からわずか2ヶ月後のことです。
仕事終わりで飛行機に乗り、深夜1時だか2時だかに沖縄に到着。
さすがにもうメンバーは寝てるだろうと思ったら、皆んな普通に居酒屋で呑んでいて、「小島さん、めんそ〜れ!」と声をかけられたことを覚えています(笑)
太鼓ファミリー
あれから5年半。
結婚し、子供も産まれ、私はまだエイサーを続けています。
本当にいろいろあって一晩では語りつくせませんが、昇龍祭太鼓は私たち家族にとっても大切な場所です。
これからも応援してくれるお客様と、お世話になった先輩たちに恩返しをしていけたらと思います。