新宿エイサーまつり ~立ち上げの思い出~
- 2017年07月5日
- テーマ: その他
昨日の台風通過で大荒れの日本列島。
台風一過で東京は天気が良かったけど、湿気があって本当に暑かったですね~
台風被害の大きい地域もあったとのニュースを見ました。
今回の台風被害にあわれた方々へ、心よりお見舞い申し上げます。
7月最終土曜は!
さて、7月に入りました。
7月といえば、エイサーシーズンの到来です☆
各地では色々なイベントが目白押し!
そしてエイサーシーズンである7月の最終土曜日と言えば、、、?
そう!新宿エイサーまつりです!!
今年の新宿エイサーまつりは、7月29日(土)に開催されます。
真夏の新宿に太鼓の鼓動が鳴り響く。
あの熱い感動の一日がもうすぐやってきます。
今日は、以前にも新宿エイサーまつりの紹介で触れていますが、立ち上げ当初の思い出を代表の水野さんに語って貰いました♪
立ち上げまで2年
新宿エイサーまつりは、沖縄そば屋『やんばる』店主の東(あずま)社長と「新宿の街で沖縄エイサーを披露し、沖縄芸能を広めたい」という想いからスタートさせたイベントです。
2000年9月。
新宿で神輿の出るお祭りの日。
小規模なイベントながら、新宿大通りでエイサーを披露したのが、自分が立ち上げた前身団体「琉球國祭り太鼓 東京支部」でした。
このイベントが新宿エイサーまつりの原点です。
そして翌年2001年には形態を変え、エイサーパレードとして試験的に実施。
翌2002年に「第1回新宿エイサーまつり」として本格的に立ち上がりました。
ここまでは、以前の記事で紹介した通りです。
現在では、原宿はよさこい、浅草はサンバ、高円寺は阿波踊り、そして新宿はエイサー、と言われるほど東京のお祭りとして定着した「新宿エイサーまつり」
立ち上げの時には、ここまで大きなイベントになるとは夢にも思っていませんでした。
4団体でのスタート
今年、2017年「第16回新宿エイサーまつり」には25団体の参加が決まっています。
そんな大きなお祭りとして定着した新宿エイサーまつりも、第1回目の出演団体はわずか4チーム。
現在では、沖縄県外で最大規模のエイサーまつりとして認知されていますが、立ち上げ当初は試行錯誤の連続でした。
その中で持ち続けていた強い想い。
『せっかく立ち上げるのであれば「エイサーまつり」として長く継続させていきたい』
『その為には自分達のような「創作エイサー」団体だけで行うのではなく、伝統的な「青年会エイサー」の演舞も披露していかなければ難しい』
その想いを胸に、実際に沖縄へ出向き、各地域の青年会へ出演交渉も行いました。
しかし、創作エイサー団体に所属する自分が主体となり、東京で行うイベントということもあり、難色を示す団体が多く、出演交渉は難航。
まずは本場である沖縄市を拠点とする青年会のエイサー団体に声を掛けましたが、見事に沖縄市の団体全てに断られたという苦い経験があります。
それでも自分の考えに理解を示し、共にエイサーを広めていきたいという想いのもと「第1回新宿エイサーまつり」に参加してくれたのが、沖縄県糸満市の『喜屋武青年会』のメンバーでした。
そして、『エイサー以外の沖縄文化にも触れてもらいたい』という想いから、第1回から2012年まで毎年出演してくれたのが琉球旗頭會のメンバーです。
立ち上げ時には、那覇の各村々の旗頭団体(14旗頭)に協力を仰ぎ、連合会として新宿の街に勇壮な旗頭の4旗を舞わすことが出来ました。
そして昨年。
再び新宿の街に旗頭が戻ってきました。
残念ながら今年の出演はありませんが、また新宿の空に旗頭が舞う日を楽しみにしています。
新宿エイサーまつりへの想い
「新宿の地で沖縄芸能を広めたい」という本当の意味でのスタートからは18年。
所属団体こそ変わりましたが、立ち上げからずっと「新宿エイサーまつり」に携わってきた自分としては、人一倍このイベントに対する想い入れがあります。
実行委員役員の世代交代や、イベント会社の入替もあり、このような成り立ちや原点となる熱い想いを知る人も少なくなりました。
少しずつ様相が変わって来ているのも事実。
本来の目的を忘れ、ただのお祭り騒ぎにならないよう、今一度、原点に立ち返る事も大切なのではないかと思う事があります。
昨年、お客様から考えさせられる意見をいただきました。
明日は、その事について少し触れてみたいと思います。