あの日あの時 ~師弟の邂逅~
- 2017年12月1日
- テーマ: あの日あの時
先日、川上さんが紹介してくれた「バチ回しの思い出、、、」
今日はそれに至ったその日の出会いについて。
昨日の美月ちゃんの記事で紹介のあった「師弟制度」が正式に始まったのは、ここ4年くらい。
でも根本の部分は、最初の出会いから始まってるのかもしれんせんね。
邂逅
人生における「出会い」
人は人生の岐路に佇んだ時、誰と出会うかによって進むべき道が決まることが多い。
私にとって水野さんとの出会いは、今後の命運を決定づける素晴らしいものとなりました。
2010年1月28日、時に川上23歳と286日!
東京杉並区の荻窪地域区民センターにて「琉球國祭り太鼓 東京支部」の練習見学・体験に初めて参加。
「自分もこれから東京支部の一員として踊るんだ」
と思うと、もう嬉しくて興奮していました!
練習場では当時Jr.メンバーだった亀井智世さんたちがすでに準備していて、何やら深く考え込んでいた様子が印象に残っています。
今にして思えば、団体が独立する10日程前だったので、これまで付き合ってきた友人たちと離れることが悲しかったのでしょう。
(草創期のメンバーたち☆ 都築夫妻も! 2010年3月 写真提供 水野順一郎)
19時20分頃、吉越副団長(当時)が到着。
(最もお世話になった先輩・吉越さん☆ 2010年@新宿 写真提供 水野順一郎)
お互いに自己紹介を済ませた後、東京支部についての説明を受けると思いきや、次の言葉を聞いて私は頭を金槌で打たれたような衝撃を覚えました!
「実は、東京支部は残留するメンバーと、昇龍祭太鼓として活動するメンバーに分かれます」
その後、両者の目的意識などについて説明を受け、戸惑いながらも太鼓がバンで運ばれて来るのを待っていると、やがて練習場に一人の「男」がやって来ました。
黒いTシャツに黄土色のズボンと黒い運動靴で現れたその男。
短髪を爽やかにワックスで立て、いかにも「やり手」を思わせるその風貌から発せられる眼光は、面した者が思わず居住まいを正さざるを得ないほど鋭く炯炯(けいけい)と光り、右手(めて)にデッキ、左手(ゆんで)に「昇龍祭太鼓」と刺繍の入った衣装を携え、右肩からは太鼓バチと練習着の入った袋を提げていました。
そして私を見るなり
「あ、はじめまして。川上さんですか。実は団体が分かれるんだけど(中略)、もう衣装もできてて、団体名は昇龍祭太鼓で…」
と、自己紹介もろくにせず(笑)、長々と自分が立ち上げる昇龍祭太鼓のことをまくし立てていたのでありました。
「この人はきっとすごい人にちがいない!」
かく思わせるほどのオーラを放った男こそ、私の太鼓の師匠・水野順一郎その人であったのです。
水野さんと私の「腐れ縁」が結ばれた瞬間でした(笑)
不思議なのは、初めて会ったのにまるで数十年来の知己に会ったような、懐かしい感じがしたことです。
もしかして前世でも会っていたとか!?
(稽古場がまだ駐車場だった時。みんな若かった! 2010年 写真提供 水野順一郎)
入団
それはさておき、東京支部と昇龍のどちらに入団しようか悩んでいた私でしたが、昇龍には新たなことに挑戦しようという息吹が溢れていたことと、水野さんや吉越さん、金城さん、大城さん、智世ちゃんといった先輩方の演技に憧れたこともあり、昇龍祭太鼓への入団を決意しました!
2010年2月4日のことです。
あれから7年半。
いろんなことがありましたが、あのとき結んだ「腐れ縁」は健在です!!
これからも、共々にいかなる波濤も乗り越えて行きましょう!
ジンベエザメのように!
ご指導ご鞭撻のほど、ゆたしくうにげーさびら!
(どんな波浪にも動じないジンベエザメ! 2010年@旧稽古場 写真提供 水野順一郎)
川上