あの日あの時 ~黎明の時~
- 2017年12月15日
- テーマ: あの日あの時
今日のブログは再び川上さん☆
かつて、私もバチ回しが辛くて逃げ出した前科があります( ̄∇ ̄)
誰もが通る道かもしれませんね(笑)
黎明の3月13日
学問でもスポーツでも、ある時を境に急に難問が理解できたり、身体能力が飛躍的に上がったりすることがあります。
昇龍祭太鼓のバチ回しに関しても同じことが言えると思います。
共感できるメンバーもいるのではないでしょうか。
私にとってその“時”とは、2010年3月13日でありました。
(辛いバチ回し人生に希望の曙光が! 2013年11月@伊豆 川上撮影)
合宿
3月13日から14日まで、東京大田区にある平和島ユースセンターで強化合宿を行いました。
(平和島ユースセンターのある大田区にお住まいの亀井家(笑) 左から美夕、瑠那、奥は座敷わらしのような“たっちゃん”! 皆昇龍のメンバーでした! 2012年 川上撮影)
それまでの練習で、私の右手は悲惨なことに!
手のひらは11個もマメができ、常にどこかの皮がむけている状態!
親指は太鼓の角に何度もぶつけた結果、生々しい傷は消えることなし!!
※右手親指第一関節は左のそれよりも太く強くなりました!
手首は炎症を起こし、動かすだけで軟骨がザラザラ音をたてるありさま!!!
さらに両足大腿の付け根も炎症を起こし、あまりの激痛に夜目覚めたことも!!!!
水野さんのすすめで、荻窪にある「増本整形外科」で痛み止めを処方してもらうも、激痛のあまり練習を一旦中止することが何度もありました。
(関節も骨も痛くてたまらなかった新人時代! 2015年@小田原 川上撮影)
そのような中ではありましたが、太鼓が好きで好きで勇んで合宿に参加しました!
殻を破った!
大太鼓を力強く打ち鳴らし、演舞に迫力を添えるのは男性メンバーの使命です。
しかし、力強く太い“ドン”という音は、新人にはなかなか出せないものです。
それでも先輩たちからは
「しっかり音を出せ!」
と指導されます。
(音に関しては特に厳しかった愛里先輩(中央)「音が出せない男なんてカスだね!」 厳しくも温かいご指導が今も私の耳朶から離れない。 2010年10月@沖縄 写真提供 水野順一郎)
そのため、練習時はなるべく音が出やすい太鼓を選ぶという、女々しくて姑息な手段をとったこともありました(笑)
それでも地道に練習に励んだ結果だったのでしょう、この日の練習では明らかに今までとは手応えが違いました。
当時、皆から敬遠されている太鼓がありました。
「No.4」とシールが貼られたものがそれです。
太鼓の面が硬く、なかなか音が出ない太鼓だったのです。
(見よ!この硬そうな太鼓を!! 2012年7月@韓国 川上撮影)
私が合宿で使用した太鼓はそれでしたが、嬉しいことに結構音が出るようになっていたのです!
これは愛里さんにも褒められました(^-^)
吉越さんと大城さんには
「まだ音が弱い」
と言われましたが…
(最もお世話になった先輩の吉越さん(上)、大城さん(下左)、愛里さん(下右)2009年@タイ・ニューハーフショーにて写真提供 水野順一郎)
夏の海
80年代から90年代にかけて放映された人情ドラマに「裸の大将放浪記」があります。
その主題歌として流れていたダ・カーポの歌『野に咲く花のように』
その歌詞の一節にこうあります。
「時には暗い人生も トンネル抜ければ 夏の海♫」
3月13日は、私の辛いバチ回し人生の黎明を告げる日となったのです!
(痛くて辛かった太鼓人生に光が! 2017年@沖縄 写真提供 広報部)
合宿では、ミルクムナリやクダカも練習し、練習後は皆で車座になっていろいろ語り合って楽しかったなぁ〜
皆で風呂に入った時に、水野さんに冷水をかけられたのもいい思い出です。
ともあれ、本当に素晴らしい一日となりました!
新人の皆さんも、『野に咲く花のように』を聴いて、“夏の海”を目指して頑張ってくれたまえ!