あの日あの時 ~真剣勝負~
- 2017年12月18日
- テーマ: あの日あの時
昨日はタイ支部からのイベント報告でしたが、、、
今年は残念ながらタイ支部への指導遠征に行けてません。
タイ遠征、行きたいなぁ。
さて、今日のブログも川上さんの「あの日あの時」
その川上さん、体調不良で入院中とか(>_<)
看護師の方が可愛くて優しいし、ご飯も食べられるし、、、
なんて言ってたみたいなので、わりと元気っぽいですが、早く全快してくださいね~
常に真剣勝負たれ!
昇龍祭太鼓の草創期、特に2010年は本当にいろんな思い出がありました。
今回紹介するのもその一つ。
2010年5月9日、この日、我らが代表はタイ支部指導のため海外へ。
(高橋ゆかこさんとメンバーたち。写真提供 水野順一郎)
そんな中、昇龍の日本組は都立木場公園のミドリアム前広場で行われた「ゴールデンフェスタ in 木場」に参加。
1回目の演舞が始まる30分ほど前、大城さんから
「よし、川上、新人メンバーで客寄せに行ってこい!」
との指令が。
新人メンバーで列をなし、客寄せの大行進!
公園内を太鼓や鳴子を鳴らして歩きながら、
「まもなく13:00より、沖縄のイベントが始まります! ぜひお立ち寄り下さい!」
「お願いしまーす!」
などと叫びまわり、一通り終わったところで先輩たちのところへ戻ると、そこには腕を組み、目を吊り上げた大城先輩が!
(仏に助けを求めたい気分でした 2007年@タイ 写真提供 水野順一郎)
「なんだあれは!お前らやる気があるのか!列はバラバラだし、声は揃ってないし、もっと気持ちを込めて真剣にやれ!!」
烈火のごとく叱り飛ばされましたが、大城さんのイベントにかける思いを感じ、心から反省しました。
「全て真剣勝負でいけ!」
これが大城先輩の指導でありました。
(演技が超カッコよかった大城さん!兄貴と言うよりは厳父のごとき先輩だった! 慈母は…当時の昇龍にはいなかったなぁ〜笑 昇龍HPのスライドより)
1回目の演舞は無事終了。
2回目の演舞の前にも再び客寄せ。
今度は何も言われなかったので良かったやいびーん(^_^;)
列も声も揃っていたと思います!!
さて、2回目の演舞が終了し、皆で控え室に戻ろうという時、私はかわいい子どもを連れた女性のお客さんに声を掛けられました。
智世ちゃんファン現る!
「あの~、すみません。あの人のサインがほしいんですけど・・・」
控え室へと戻る智世ちゃんの背中を指差しながら、その人は照れくさそうに声をかけてきました。
急いで控え室へ行き、本人にそれを伝えると、
「えっ!サインって言われても、何を書けばいいんですか??」
と、智世はあたふた!
(智世ちゃん[中央]の誕生日を祝うメンバーたち 2009年10月 水野順一郎提供)
吉越さんが、
「自分の名前を書いてくればいいんじゃない」
と言うと、
「あっ、それでいいんですか!」
と、急いでお客さんのところへε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
控え室に戻ってきた智世に吉越さんが
「智世、なんて書いてきたの?」
と笑いながら訊くと、
「漢字で『亀井 智世』って書いてきました」
と嬉しそうな表情!!
笑いが弾ける控え室( ^∀^)
(左から吉村南美、亀井瑠那、亀井美夕、亀井智世、彩香さん[東京支部残留] 水野さん41歳の誕生会にて 2009年11月 水野順一郎提供)
智世の演技には、人の心を打つ不思議な魅力がありました。
「南米でも智世は有名だった」
とは、後に昇龍メンバーに加わるアルゼンチンの金城ナタリア(ナティ)の証言です。
みんな智世の演技が好きだったようで、私(川上)も魅了された一人です。
OBのフェデリコ・マルティノリッチ(デンデ)もかつて私にこう言いました。
「俺が昇龍に入ったのは智世がいたから。彼女の演技が好きだし、すごい人のところでエイサーしたかったから」
(左から、若林、美夕、川上、デンデ、ナティの彼氏、ナティ、智世、水野。 2016年撮影 広報部提供)
私も同じです。昇龍入団を決定的にしたのは、何よりも智世の存在が大きかったのです。
(誰よりも重心が安定して、何をやっても上手かった智世!素晴らしい先輩でした。 2016年 新宿エイサー)
あれから7年半が過ぎました。あの日サインをもらったお客さんは、今どうしているかなぁ~。
成長したお子さんは、ちょうど小学校高学年ぐらいかな。
将来昇龍に入るかも!?
それとも別の団体に既に入ってたりして!!
あ、ブログご覧になってますか~(笑)
さてさて、今回はこんなところで、当時の映像を見ながらお別れとしましょう。
(琉球よさこいソーランも踊りました! zunberaboさんの投稿動画より)