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宮古島のお話 ~博愛精神!?~

今日は久し振りに宮古島のお話。

以前に宮古島のお酒の飲み方「おとーり」を紹介しました。

その時に「もともとは、貴重なお酒をみんなで平等に飲む為に始まった」もので、『まさに博愛精神!』と紹介しました。

今日はそんな心持ち?のお話。

 

博愛の島

「博愛」= 広く愛する。平等に愛する。

博愛精神という言葉自体は造語のようなんですが、、、

宮古島には、この言葉が根付いている地域があります。

それが、私がかつて勤めていたホテルのある上野地区です。

系列のホテルに隣接しているうえのドイツ文化村の「マルクスブルグ城」

このお城の中には「博愛記念館」があり、キリスト教式の結婚式を挙げることの出来るチャペルやシアターホールがあります。

また「博愛パレス館」という宿泊施設(現在は閉鎖)や「シースカイ博愛」という水中観光船の運航もあります。

マルクスブルグ城とシースカイ博愛

なぜ、この地域にこの言葉がこれだけ定着しているのか?

それは、「そもそもなんでこの場所に『ドイツ村』があるの?」というお話に繋がってきます。

 

ロベルトソン号

敷地に隣接するホテルブリーズベイマリーナにはロベルトソンという名のラウンジバーがあります。

このバー、船をイメージした造りになっているんです。

ちなみに宿泊した時に、ここのテラスで朝食を食べるのが好きでした(笑)

ロベルトソン店内

話が逸れましたが、、、σ(^_^;

何故、ホテルのラウンジが船のキャビンをイメージしているのでしょう?

それこそが、宮古島にドイツ村がある由縁だったりします。

遡ること1873年(明治6年)。

ドイツの商船「ロベルトソン号」が、台風の影響により上野沖で座礁してしまったことがすべての始まり。

荒波の中、島民たちが危険を顧みず救出に向かい、言葉がわからないながらも手厚く看護。

約1ヶ月後には島民が用意した別の帆船で宮古島を後にし、船員たちは無事にドイツへ帰国します。

その3年後、事情を知った当時のドイツ皇帝から感謝の意を込めた石碑が宮古島に贈られます。

さらに50年以上の時を経て、石碑の存在が注目を集め、文献にも載っていないこの逸話が紹介され広く知られるようになりました。

こういった様々な経緯を得て、歴史を後世に受け継いでいこうとドイツ村が建設されました。

ドイツ皇帝博愛記念碑

・・・かなりざっくりした説明(笑)ですが、

『危険を顧みず助けに向かった宮古島の先人達の「博愛精神」を後世に伝えるために出来たテーマパーク』

といった感じですかね?

しかも、併設されているキンダーハウスという建物には、東西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」の無傷である52枚のうち2枚が、友好の証に寄贈され展示されています。

また、空港からドイツ村までの道は、2000年の沖縄サミットの際、当時の首相であったシュレイダー元首相の来訪を記念し、「シュレイダー通り」と名付けられました。

ここまで聞くと、かなり積極的にドイツとの交流を図っているように見えます。・・・よね?

でも実際のところ、自治体がどのくらい本気で取り組んでいるのかは、、、かなり謎ですσ(^_^;

確実に現在でも受け継がれている博愛の精神は「おとーり」かもしれません。

↑もはや趣旨が変わっているような気もしますが(笑)

 

観光スポット?

そんな「うえのドイツ文化村」

残念なことに観光スポットとしての評価は今ひとつのようです(>_<)

まぁ、建物の中に入らなければ入園は無料なので、どちらかというと地元民の憩いの場としての要素が強いかもしれませんね。

広い芝生広場は子供たちの遊び場ですし、鯉のぼりフェスタやダンケフェスト、産業まつりなど、宮古島で開催される数少ないイベントの会場でもあります。

ダンケフェスト

きっと島一周ドライブの際には、絶好の休憩スポットになります(笑)

みなさんも機会があればぜひ、立ち寄ってみてくださいね~(^_-)-☆

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