さ、寒い、、、
- 2018年01月22日
- テーマ: 沖縄のいろいろ
本日の関東地方、、、雪。
いやぁ、寒い。
久し振りに東京が銀世界になりました。
(↑自主公演「舞~MO-LE~」前日のことです)
思えば、まだ購入して1年に満たない新車に大道具を括りつけられたのも今では良い思い出です、、、( ̄∇ ̄)
そんな私の愛車も雪まみれになった本日、寒さの苦手な沖縄出身の川上さんから記事が届きましたのでご紹介☆
沖縄と棉(わた)
本格的な寒波が日本列島に押し寄せ、沖縄出身の私は毎朝大変!
もう寒くて寒くて!
ダイズガダイス!シマイガゴマイ!!
↑↑↑↑ 意味わかりますか?
ということで、クイズです。
正解は記事の最後で。
そんなさむ~い冬を凌ぐのに必須の品が「綿」
今回はその綿と沖縄についてのお話です。
薩摩の琉球侵略
薩摩が琉球に侵略したのは1609年の3月25日。
沖縄県北部にある運天港に薩摩軍が上陸。
兵隊3千人、船百隻あまりで押し寄せ、陸路や海路から首里に攻め入り、鉄砲を撃ち、矢を放ち、焼き討ちをかけ、一方的に大島諸島や沖縄島を蹂躙しました。
4月5日には首里城も占拠され、当時琉球の中山王だった尚寧(しょうねい)と重臣たちは人質として島津氏の元へと連行。
3年間、薩摩に留めおかれました。
その人質の中の一人に儀間眞常がいたのです。
彼は薩摩で大きな発見をします。
それこそが「棉(わた)」だったわけです。
(柔軟剤のハミングで、さらにふっくら!)
棉の普及
眞常はこの棉の種を琉球に持ち帰り、薩摩から琉球に来ていた姉妹、梅千代と実千代を雇って木綿織り製法を普及しました。
はじめに織った大帯用の布が、琉球絣(かすり)のはじめだと言われています。
やがて琉球のいたるところで棉を栽培するようになり、人々は寒い冬も上等な着物であたたかく過ごすことができるようになりました!
(ハミングでふんわかあったか〜い)
昇龍と儀間眞常の関係
さて、話は変わりますが、昇龍は儀間眞常と深い関わりがあります!
PV用のミルクムナリ棒術のスタイルは、又吉流(沖縄古武道の一流派)のそれで行っています。
又吉流は、又吉眞珍―又吉眞光(1888〜1947)―又吉眞豊(1921〜1997)先生と三代にわたり伝承されてきた由緒ある流派ですが、ブログをご覧の皆さん、何か気づきましたか?
そうです。
みな名前に「眞」の字がありますね。
この眞の字をはじめて名乗ったのが、初代・大城眞武(うふぐしく しんぶ、大城按司のこと)で、琉球王朝時代の武人でありました。
(大城按司の墓 川上撮影 画像出典:『THE HISTORY, TOOLS, AND TECHNIQUES OF THE ANCIENT MARTIAL ART OKINAWAN KOBUDO』、ANDREA GUARELLI 、2015)
その7代目が儀間眞常です。
そうして幾世代をへて又吉眞豊先生へと至ります。
(又吉眞光先生〔左〕と又吉眞豊先生〔右〕 画像出典:同)
つまり、又吉先生の家系は代々武人の家系だったわけで、儀間眞常は偉大な役人でもありました。
その又吉先生系統のスタイルで棒術をする昇龍を、儀間眞常も微笑みながら見守っていらっしゃるに違いありません。
(儀間眞常 川上撮影 画像出典:同)
最後にクイズの解答
ダイズガダイス!シマイガゴマイ!!
↓↓↓↓↓↓↓ 驚いた時や呆れた時などに発する間投詞で、状況に応じて意味が変わります。
今回の場合、寒くて寒くてダイズガダイス…
となるので、
「寒くて大変だ〜」
ぐらいの意味かな、、、
実は地元の人も意味を断定できなかったりして(笑)
では皆さん、私は眠くなってきたので、無責任ではありますが、今日はさよならね☆