受け継がれるもの
今日は、一昨日の「慰霊の日」にちなんだお話を代表から。
誕生日は生まれた日を「お祝いしてもらう」のが、なんとなく一般的になっていますが、産んでくれたことに対して「ありがとう」と両親に感謝する日なのかな?と個人的には思っていたりします。
物事を色々な側面からに見ることが出来る人になりたいな、と思う今日この頃です。
受け継がれるもの
このブログ記事を毎日更新するたびに故郷のことを想ったり、沖縄に暮らす家族のことも良く考えます。
慰霊の日も終え、たくさんの方々の想いを聞くことができ、自分達が何をし何を伝えていくべきかも考えさせられました。
このブログでもちょこちょこ出てくる純也くんの祖先も先の大戦で命を落としたそうで、平和の礎に手を合わせにいったことを思い出しました。
私が、この世に誕生したのも両親が結婚して私を産んでくれたおかげです。
私の母親の誕生日は6月25日の今日。
もう85歳になります。
母親のお母さん(お祖母ちゃん)が母親を産んでくれなかったら現世に私の存在自体がなかったし、いまこうしてブログの記事を書いていることもなかったと思います。
沖縄県民は慰霊の日を特別な日として認識しております。
戦争経験者が少なくなっている昨今、自分の母親もつい最近になって幼少期の戦争体験を話してくれました。
今まで話してくれたことがなかったのに話をしてくれた時は、本当に驚きでした。
戦争の傷痕
母親の家族は、戦争がはじまってフィリピンに疎開したそうです。
疎開先でも食べ物がなかったり、父親と生き別れになったりと苦労話を聞いた時は本当に驚いたのと、何故いままで話してくれなかったのかと問いただしました。
やはり悲惨な思いを口に出せるまでに時間がかかったようでした。
戦争は家族をも引き離してしまったり、大切な人を失ってしまったりと何も良いことは残りません。
戦争がなければどんな人生を過ごしていたのかと考えると、沖縄戦で亡くなった方々への想いが重く感じます。
命どぅ宝(ぬちどぅたから)
命こそ宝ということが本当に大切な事だと実感しています。
家族や先祖の方々に感謝しながら、人生半ばで戦争で絶たれた方々のためにも与えられた命を大切にして過ごしていきたいと思います。