昇龍と私 ~麗湖~
昇龍祭太鼓にはご存じの通り、支部が2つあります。
そのうちの1つ、タイ支部からは先日近況報告が届きました。
そして旭川支部からは、一昨日も紹介したように「昇龍と私」シリーズが届いています。
さらに!
タイ支部からも「昇龍と私」が届きましたので、これからは交互に紹介ていきしたいと思います。
今日ご紹介する麗湖(れみ)さんとは第一弾PV『七月節』撮影の時に、初めて沖縄でお会いしました。
ご家族で来ていたのですが、旦那さんはカッコいいし、子供は可愛いし、麗湖さんもママさんには見えないくらい若いし、、、
ホント、幸せ家族で羨ましい☆
エイサーとの出会い
エイサーと出会ったのは2003年、アメリカ留学中。
勉強の息抜きでたまたま参加した学内のイベントで日本人学生有志によるステージを見たのが最初でした。
実は以前からなんとなく誘われていたものの、 エイサーが何かも知らぬまま、多忙を理由に断っていました。
それが、ステージ上の演舞を見たその瞬間、エイサーに体ごと鷲掴みにされたような衝撃をうけ、完全に引き込まれている私がいました。
「何これ、…やる!」
それしか出てこないほど。
次の日から卒業までの2年程エイサーを踊り、日本への帰国とともに、私のパーランクーはその後3年間ベッドの下に置かれたままになっていました。
昇龍との出会い
2011年5月、私は再びエイサーと出会いました、それもタイで。
2009年からタイに生活を移しており、日系企業で働いていました。
渡タイの際、パーランクーをスーツケースに入れてきてたものの、懐かしく眺めることはあっても叩くこともなく、また更に2年半が経っていました。
ちょうど結婚に伴い会社の退職がきまり、何か好きなことを始めようかと思っていた、まさにその時。
バンコクでエイサーチームが立ち上がるというタイミングでした。
その頃は平日昼間の練習募集だったので、絶妙としか言い様がなく、広報誌の募集を見て迷わず連絡したのを覚えています。
それから私の昇龍祭太鼓のメンバーとしての練習が始まり、太鼓を叩く生活が戻ってきました。
初めてミルクムナリを見せていただいた時の荘厳さ、長らく聴いていなかった沖縄のリズムによる心臓の高鳴り。
最初の頃は、初めての大太鼓の重みを肩に感じながら、腰に青あざを作りながら練習の日々でした。
イベントに出られるように、、、
イベンターから声が掛かるように、、、
と発足メンバー一丸となって練習し、1年が経過。
ステージに何度か出るようになった頃、 第1子の妊娠がありました。
継続について考えましたが、続けるという選択肢しか自分の中にはなかったので、太鼓を下ろしてぎりぎりまで練習に参加させてもらいました。
出産後も子供同伴で練習場に来ることを了解いただき、練習に参加出来たのはとても有難かったです。
その後も沖縄で本部の方々とのPV撮影に参加させていただけるということになり、動画指導をいただいたり、現地で本部の方々と踊らせていただいたり、、、
これらの経験は私のエイサー史に刻まれる出来事となり、継ぐ第2子の妊娠出産も家族や支部メンバーのサポートを受けながら続けさせていただきました。
昇龍のメンバーであることが、私を「母」や「妻」以外の自分にしてくれる大切な時間であり、団体との関わりは私の生活の一部になっていきました。
私にとってのエイサー
2011年の入団から今まで、引越しや出産などで何度となく支部から離れた生活を送っています。
それでも、 イベントの際には声をかけてくださり、動画で演舞指導をしてくださる支部長の由香子ちゃんをはじめ、それをサポートしてくださる本部の方には本当に感謝しかありません。
現在、定期的な練習やイベント参加からは離れていますが、自分が団体に還元出来ることやメンバーとの関わりを大事にして、これからもエイサーと共にある生活を大切にしていきたいと思います。